−埋め立て
(うめたて)と工業化(こうぎょうか)

太平洋戦争(たいへいようせんそう)が 終(おわ)わったとき、現在(げんざい)の 国道(こくどう)14号線(ごうせん)の 南側(みなみがわ)は、ほとんどが 遠浅(とおあさ)の 海岸(かいがん)でしたが、その頃(ころ)から 一部(いちぶ)では 埋め立て(うめたて)が 始(はじ)まっていたようです。こどもたちは、よく集(あつ)まって 広(ひろ)い砂場(すなば)で 野球(やきゅう)などをして 遊(あそ)んでいました。道具(どうぐ)も 少(すく)なく、素手(すで)中心(ちゅうしん)だったと 思(おも)います。

1954年(ねん)(ころ)、東京湾(とうきょうわん) 沿岸(えんがん)で京葉(けいよう)工業地帯(こうぎょう ちたい)の 造成(ぞうせい)が始(はじ)まりました。船橋市(ふなばしし)でも 1956年(ねん)、埋め立て(うめたて)による 工場用地(こうじょうようち) 造成(ぞうせい)が 本格化(ほんかくか)し、1964年(ねん)には 中小企業(ちゅうしょう きぎょう)のための 土地(とち)が造成(ぞうせい)されました。そこに、東京(とうきょう)の 下町(したまち)や 船橋市街(ふなばし しがい)から 工場(こうじょう)が 移転(いてん)し、臨海(りんかい)工業団地(こうぎょう だんち)が つくられました。

1965〜1975年(ねん)の 期間(きかん)に、港湾整備(こうわん せいび)を 主(おも)な目的(もくてき)に、千葉県(ちばけん)による 大規模(だいきぼ)な 埋め立て(うめたて)が 行(おこな)われました。このときできた高瀬町(たかせちょう)には、大手(おおて)ビ−ル会社(かいしゃ)をはじめ、菓子製造(かし せいぞう) 、食用肉処理(しょくようにくしょり) 、食品配送(しょくひんはいそう)などを行(おこな) う 180近(ちか)い会社(かいしゃ)が あつまる大食品工業団地(だい しょくひんこうぎょう だんち)が つくられました。