− 船橋
(ふなばし)の漁業(ぎょぎょう)

船橋(ふなばし)は漁業(ぎょぎょう)の さかんな ところでした。江戸時代(えどじだい)には東京湾(とうきょうわん)で いちばん大(おお)きい 漁業地帯(ぎょぎょう ちたい) のひとつで、漁師町(りょうしまち)も このあたりで もっとも人口(じんこう)の多(おお)い ところでした。

1614年(ねん)、この地方(ちほう)を訪(おとず)れた将軍(しょうぐん)徳川家康(とくがわ いえやす)に、魚(さかな)や貝(かい)を おくって大変(たいへん)(よろこ)ばれたということです。

1703年(ねん)、関東(かんとう)・中部地方(ちゅうぶ ちほう)をおそった大地震(だいじしん)で地盤(じばん)が変化(へんか)し、その影響(えいきょう)で魚(さかな)がとれなくなった時代(じだい)があり、そのためにほかの村(むら)との漁場(ぎょじょう)(あらそ)いがつづきました。1824年(ねん)の 三番瀬(さんばんぜ)*1 の 入会権(いりあいけん)*2 を めぐる争(あらそ)いで、船橋(ふなばし)の漁師(りょうし)の代表(だいひょう)が 獄死(ごくし)*3 しました。中央公民館(ちゅうおう こうみんかん)の前(まえ)にある不動院(ふどういん)で おこなわれる追善供養(ついぜん くよう)*4 は、その人(ひと)を供養(くよう)したのが はじまりと いわれています。

船橋駅(ふなばしえき)の北口(きたぐち)...今(いま)の東武(とうぶ)デパ−トの あるあたり...に魚市場(うおいちば)がありました。総武線(そうぶせん)の電車(でんしゃ)で東京(とうきょう)方面(ほうめん)から船橋駅(ふなばしえき)に近(ちか)づいてくると、強(つよ)い魚(さかな)のにおいがし、居眠(いねむ)り していても目(め)が覚(さ)めてしまうほどでした。現在(げんざい)この魚市場(うおいちば)は、1969年(ねん)に できた中央卸売市場(ちゅうおう おろしうり いちば) に移(うつ)っています。 

 *1:現在(げんざい)の船橋市(ふなばしし)と市川市(いちかわし)にまたがる浅瀬(あさせ)。たくさんの水鳥(みずとり)がとんできて休(やす)む場所(ばしょ)となっています。

 *2:共同(きょうどう)で使用(しよう)する権利(けんり)

 *3:刑務所(けいむしょ)で死(し)ぬこと

  *4:死(し)んだ人(ひと)をなぐさめる儀式(ぎしき)