船橋(ふなばし)ものがたり 4 −行田 (ぎょうだ)の無線塔 (むせんとう)

いまの行田公園(ぎょうだこうえん)に6基(き) の無線塔(むせんとう) がたっていました。1915年(ねん)に建設(けんせつ)された海軍(かいぐん)の無線塔(むせんとう) です。この無線塔(むせんとう) は、災害(さいがい)の救援(きゅうえん) と戦争(せんそう)の開始(かいし) の両方(りょうほう) に使(つか)われたことで知られています。

 

1923年(ねん)に起(お)きた関東大震災(かんとうだいしんさい)のとき、東京市内(とうきょうしない)の通信機関(つうしんきかん) がすべて機能(きのう) を停止(ていし) したため、災害(さいがい)が起(お) きたことを外部(がいぶ) に連絡(れんらく)できませんでした。このとき、救援依頼(きゅうえんいらい)の電波(でんぱ)を送(おく)ったのがこの無線塔(むせんとう) です。

 

 1941年(ねん)、この無線塔(むせんとう) から対米開戦(たいべいかいせん)の電文(でんぶん)が千島列島(ちしま れっとう) に待機(たいき) していた日本(にほん) の連合艦隊(れんごうかんたい)に発信(はつしん)されました。戦後(せんご)、この無線塔(むせんとう)をアメリカ空軍(くうぐん)が占領(せんりょう)しました。彼(かれ)らは、まわりの畑(はたけ)から出るこやしの臭(にお)いにびっくりしました。そこで、化学肥料(かがくひりょう)が配給(はいきゅう)されるようになりました。

 

無線塔(むせんとう) は1971年(ねん)に解体(かいたい)されました。