7月17日


中国南部の江蘇省のお生まれ。遥か北方の北京にある、新聞・出版・テレビ・ラジオ等を専門とする、広播学院を卒業しそのまま新聞記者として4年間活躍しました。

その間、コンピュータソフトウェアの技師である今のご主人の張 文秀さんとゴールイン。充実した毎日であったようでした。以下はインタビューで伺ったお話です。

「記者生活で最も楽しい事は、多くの人と触れ合う事でしたが、何せ都会生まれの都会育ち、貧困な田舎に行き、貧しい人達と会った時のカルチャーショックは大変大きなものでした。

その頃中国では、北京に住む熟達した医師達がチームを組み、年2回、巡回診療に行く制度がありました。私は記者としてこのチームに加わり、各地を回りました。

診療チームは宿舎に泊まるのではなく、患者さんの家に泊めてもらい、一緒に食事をし、日頃の苦しみや生活習慣等を話し合い、それらを克明に報道しました。

一方、子供の教育にも大いに興味がありました。その頃の中国にあった人形はほとんどが外国のものであり、伝統的な中国の人形は見られませんでした。

子供が生まれて最初に手にする玩具は人形なのにそれが外国物では中国の伝統や文化が受け継がれて行かないと深く感じた彼女は、このことを訴えつづけました。その後、徐々に中国伝統の人形が増えて来た事は大きな喜びになりました。

4年前、日本に単身赴任していた夫が一緒に住みたいと希望し、とりあえず短期の観光旅行程度の気持ちで日本に来ました。2週間の滞在予定だったのが日本の住み易さに負け、ずるずると日本に居座る事になり、今日に至っています。今では一粒種の琳奈(2歳)もでき、幸せな毎日を過ごしています。」

来日以来、まだ4年なのに、東京の日本語学校で日本語を習い、葛飾公民館や女性センターの日本語教室にも通い、立派に日本語を話します。

少し子供の手が離れたらもっと日本語を上達させ、何か仕事がしたいと言うのが今の彼女の希望です。

それと、北海道、沖縄、奈良、京都に行ってみたいというのも今後の楽しみの一つだそうです。

広報委員 小山