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16冊のパスポート : 目次

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はじめに

1.

我が青春の東パキスタン(フェンチュガンジ)

2.

我が青春の東パキスタン(ダッカ

3.

米国ニューヨーク駐在一年生

4.

ニューヨークの自動車免許筆記試験は何語?

5.

アメリカ民族という民族は無いのだが
6. ニューヨークの「オ−ソレミヨ」
7. アメリカの浪花節
8.

ナイジェリアへの渡航回数ついに30回以上

9.

バグダッドの女学生

10.

「望郷」のアルジェリア
11. ほろ苦い清涼剤の南米エクアドル
12. 静謐なビルマ(現ミヤンマー)
13. 忘れ得ぬ人々―ブルガリア

小柳和郎

 ビルマ(現ミヤンマー)の当時の首都ラングーン(現ヤンゴン)に行ったのはもう20数年前。此の頃私は専ら中近東に足繁く通っていた。

 中近東の乾燥した暑い空気、乏しい緑、外出しているのは殆ど男性、白一色のアラブ服、朝夕モスクの尖塔のスピーカーより流れ出るお祈りの呼び掛け、といった風景に慣れ親しんでしまっていた。

だから此の国に来た時には、私の乾いた心身は、立ち並ぶ大樹の滴る緑や潤いをスポンジのように吸い込んで行った。街を覆う樹海の更に上の方に仏教寺院の塔が青空に伸びていた。


ラングーン(現みやんまー)
ラングーンの中心繁華街は流石に人出が多い。
英国植民地時代のコンクリート造りのビルが並んでいるが、老朽化していた。
今でも変わっていないのでは。

往来の車は少なく、雇ったタクシーに乗った。大分老朽化していて床の一部が磨り減っていた。走り出すとその穴からは道路がどんどん後ろに過ぎ去っていくのが見えた。通りを行き交う男女は皆もの静かで、黙々と歩いていた。

宿泊ホテルは当地としては一番ましなホテルということになっていたが、古色蒼然としていた。部屋の窓からは一面の緑と、その間から陽光に輝くインヤ湖が見えた。

夜、出張の仲間と外の中華料理屋に入った。地場のビールしか無く、注文すると生暖かかった。為替換算するとホテル代、食事代は申し訳ない位に安く、出張費が赤字になるナイジェリアや中東と比べて、有り難かった。

 翌朝早起きしてジョッギングに出た。街路樹のアーチの下を夜来の雨で出来た水溜りをひょいひょいと避けながら走った。

通りには既に人が出ていた。行き交う人は女性も多く、思い思いの色のブラウスと腰巻の装いの風景に心が和んだ。

朝食を屋台で食べる習慣が有るのか、あちこちの大樹の陰の屋台ではお客がベンチに腰掛けて食べていた。首輪が無い犬が食べ物を人からご馳走になっていた。人も犬もおとなしい。走りながら昔観た「ビルマの竪琴」という映画を思い出した。

その際に安井昌二が扮する兵士だけが断腸の思いで帰国を断念する、そして残留して僧侶となり戦死して野晒しになっている日本兵の骨を拾い集めて其の霊を弔う、という悲しいものであった。何か、タイムトンネルで此の兵士が今にもお坊さん姿で木陰からヒョッコリと姿を現すのでは、というような錯覚を覚えた。

ラングーンには日本人墓地が在った。日曜日、訪れてみると現地の墓守がいて墓地はキチンと掃き清められていた。紙屑一つ落ちていなかった。お墓はズラリと並んでいたがいすれも日本の墓石と変わらぬ形であった。

 墓標には、中には若い日本人女性の名前も彫られていた。死亡時期は明治時代であり、享年は確か20歳位と彫られていた。恐らく明治時代に南方に出稼ぎに来た「唐ゆき」さんかも知れない。拝んでから訪問客名簿に記帳しお布施を置いてお暇した。

少年の托鉢僧

 少年の托鉢僧がお布施を貰っている風景。

タイでも早朝托鉢僧が家庭の戸口に立ち、
御飯などのお布施を貰っている光景は、よく見たものである。

 

其の足で後、金箔に包まれた黄金の塔を持つ寺院シエダゴンパゴダに行った。平伏して拝む現地の参拝者に混じって、私は日本式に手を合わせお参りをした。其のあと更に大きな涅槃の像を訪れた時には当たりは一層静謐で、私も久し振りで心が洗われる思いがした。

さて肝心の我々の出張目的は日本政府の円借款に基づく製鉄プラント商談交渉であった。業界で圧延技術の神様と言われた当社M理事の丁寧で判り易い技術説明を、陸軍将校をリーダーとする先方の交渉チームも素直に聴き入り、その他コマーシャルの条件交渉もこれと言った激しい駆け引きも無いままに済んだ。

 そして正式調印に至った。其の後の建設段階でも殆ど揉め事も無く全て無事に完了した。此の国から感じる滲み出るような静謐は一体何から来るのだろうか。仏教か、文化か,人間性か。でも時計の針が止まったように本当にユックリと進んでいる静けさには我々のような性急な現代人には気だるさのようなものさえ感じてしまう。

 歴史的に此の国との小競り合いが途絶えなかった隣国タイを初め周辺のインド、マレーシア、シンガポール、ベトナム等々の進展と比較すると、いかにも歯がゆさを禁じえない。

 アウン・サン・スーチー女史の自宅軟禁も依然として続き、また今度の首都移転は何故なのか、と国際社会には首を傾げる向きが多い。此の国も、天然ガスの埋蔵が期待されているインド洋に面しており、従って此の国は昨今は地政学的に否応無しに重要性を帯び始めている。

周辺国はいつまでも此の国の孤立を放って置かないであろう。現に中国そしてインドが当国の軍事政権に対し経済支援を始めていると報じられている。静謐が続くのはいつ迄のことか。