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小柳和郎

私は南米には余り縁が無くベネズエラ、メキシコ、エクアドルにしか行ったことがない。然し、このエッセイに南米からもせめて一カ国だけでも載せたいと思った。結局エクアドルを選んだ。ほろ苦いが爽やかな想い出があるから。

出張した年はパスポートで確認してみると記憶通り矢張り19859月であった。私は夫々別件のため英国でD社、そして米国でK社を訪れた後、其の足でロスアンゼルスに向った。そして当時の日本商社N社のF課長を含む神鋼プロジェクトチームに合流しエクアドルの首都キトーに向うことになった。

此の頃の私のパスポートはバーレン、エジプト、カタール、マレーシア等々の大きなスタンプや入国税印紙で一杯であった。

因みにバーレンでは神戸製鋼はアラブ湾岸五カ国共同プロジェクトで受注したアルミ圧延プラントの建設も完了していた。然し当時私は此のプロジェクトで大変骨の折れるクレーム処理で忙殺されバーレンに通い詰めていた。だからバーレンのスタンプが矢鱈に多い。

入国記録を調べていてエクアドルの小さなスタンプを見つけた時、思い出が甦り涼風がサッと一瞬通ったようであった。

さて我々が乗った飛行機は標高6,310メートルの最高峰チンボラッソ山を頂くアンデスの山間を縫ってキトー空港に漸くに着陸態勢に入った。

海抜2,800メートルの空港に正に車輪が滑走路に着くかと思ったら、急に眼下の地面が急に切り裂いたようにドドーンと断崖絶壁になり、其れを過ぎると又ドドーンであり、するといつの間にか無事着陸した。スリル満点であった。

入国は1985918日。後述するが此の日付はやがて意味合いを持つようになる。

我々一行の目的は数十億円規模の比較的小さな石油精製プラントの大詰めの契約受注交渉で、客先は石油公社であった。

当国はかつてはインカ帝国の一部で16世紀にスペインに征服されて植民地となっていたのでキトーの街全体がコロニアル風である。


標高約2,800mの首都キトー全景

チェックインしたホテルも小ぎれいであった。旅装を解き我々は外のレストランに食べに出かけた。ワインも肉も旨く、其の割りに安かった。レストランは落ち着いた照明でスッキリしていて生バンドのトリオが哀愁を帯びたラテン音楽を奏でてくれた。

滞在中、日本商社N社の所長のお宅にも招かれて奥さんのおいしい手料理をご馳走になった。薄い気圧のためご飯は圧力釜でないと炊けないと言って居られた。

キトーは赤道直下とは言え、高地なので爽やかで快適であった。契約交渉中でも日曜日の午後は各人自由行動とした。私は書類整理などの為に予め開けて貰っていたN社の事務所に出掛けた。すると仲間のK君という若い課長のプロジェクトマネジャーも既に来ており作業をしていた。

彼はハンサムな男なので襟を立てた洒落たシャツ姿がよく似合っていた。然し夕方は気温が下がるだろうから軽装で大丈夫かな、と心配した。

仕事を終えて一緒に引き揚げる時、案の定もう寒くなっていた。私はブレザーを着ていた上に、用心してベストも持参していた。ベスト無しでは私も少々寒かったが、ベストでも多少は役に立つと思って恐縮する彼に貸した。『お互い半分ずつ風邪を引こうよ。』と言いながら。

 私は翌朝起きてみると少し風邪気味となっていた。が、ベッドよりサッと起きてジョギングに出た。街にはもう人が出ていた。空気が少々薄いのが感じられた。

スペイン系の人は男女とも器量の良い人が多く、街並みも小ぎれいであった。民族衣装の先住民の人達とも行き交った。全体が良い風景であった。でもフト、此の国も貧富の差が激しいのだろうと思い、風景に感心ばかりしていては申し訳無いかなと思った。


先住民族の市場の賑わい

商談の交渉は順調に進み数日後の925日頃には大方纏まった。米ドル建ての契約価格も事実上妥結し後は殆ど正式調印を残すばかり位となった。

すると我々にとっては商売上大変な事態が発生した。スペイン語は読めないのでホテルで英字新聞を買ったら或る記事が目に飛び込んで来たのである。

其の内容というのは数日前の922日に米国ニューヨークに於いて例のプラザ合意が成立し、其の結果として円急騰と米ドル急落が始まったというものだ。これはドエライ事だ!価値が急落するドル建で契約したら採算が狂ってしまう!

これまで客先の交渉者とは概ね穏やかに交渉を進めて来たのだが、土壇場で契約建値を米ドルより円建てに切り替えてくれるよう強引に頼み込んだ。然かも切り替える際に採用する換算レートは悪化したレートではなく入札時又は交渉開始時の好いレートに遡るよう頼み込んだ。

客先は我々をポイして他の応札競争者に乗り替えて新規に交渉を初めるにはプロジェクト・スケジュール上その時間的余裕が無い筈だ。またそれで最終的に纏まるのかも保証は無い。

結局客先は不承不承ながら頼みを受け容れてくれた。やがて我々のプロマネは工事段階で、タンクやその他塔槽類などは強い円を活かし、極力ブラジルなどで海外調達したことも貢献し工事採算は魅力有るものになった。

私は、土壇場で強引にゴネた事を恥ずかしく思い、且つ申し訳無いと思った。追って将来予備品供給か拡張工事のような機会でもあれば何か値引き等の方法で一部お返しすることを心掛けたいと思った。

でもやがて私は社内人事でプラントビジネスより離れ建機事業の方に配転となり、左様な機会はついに無かった。でも建設部隊がキチンと納期通りに質の良いプラントを作って上げたからそれで好いか、と思うことにした。

私はキトーは風光明媚で爽やかであり中東、アフリカの出張が圧倒的に多い最中の私にとって清涼剤になった。が、同時に、交渉最後に強引に出てしまったのでビッターレモンのようにほろ苦いものとなった。

現地で聞いたが、米国で配偶者に先立たれた男性高齢者がエクアドルの気候、風土、安全な生活環境に惹かれ、そして何よりも若い女性が親切に世話をしてくれるというので、此の国で余生を過ごすケースが少なくないとか。


先住民族の親子

また、或る工事で日本から中堅ゼネコンの人達が多く当地にやって来たが、其の内若い人が7名位も現地の女性と結婚し、日本に仲良く連れて帰ったとも聞いた。要するに人がすれてなく好いのだ。

あれから早や20年有余経った。中南米は今や、選挙で左派の候補者や政権が次々と誕生したり、先住民系が大統領になったりするケースも出て来ている。反米意識も強まって来ている。

エクアドルでも2000年には軍と先住民が組んだクーデターが起きたようだ。先住民も自意識に目覚め始めたのか。(後記:ご存知の通り2007年1月にコレア大統領就任、反米色を強めている。)