(6) アメリカの「オーソレミヨ」

 
   
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神戸製鋼のニューヨーク事務所は確か1973年頃だったかマンハッタンのパークアべニュー通りに移転した。それ迄は、五番街のど真ん中の一寸横道に入った処に在った。

 

毎晩日本の本社に長文のテレックスを漸く打ち終えて外に出ると、街はすっかり灯が燈り、夜の装いとなっていた。仲間と車を取りにいつものビル内駐車場まで向う。

 

が、途中疲れ直しについつい立ち寄ってしまう関所が在った。其れは安直だが小ぎれいなバーで、勤め人が帰りがけに軽く一杯やるには手頃であった。よく繁盛していた。バーと言ってもイギリスのパブ風である。カウンター沿いには腰掛が並んでいいるが、大体は立ち飲みで一杯毎に現金で払う。

其の店の客は大体顔馴染みの常連である。主人は中年の穏やかな男性で俳優のロッサノブラッツイのような端正な顔をしていた。

 

控え目ながら実直でサービスは良かった。立ち飲みの客の間を縫いながら、ピザ風の肴を程好く振舞ってくれた。

 

水割りやマティニー等3杯目位は、大体店からの奢りとなった。一杯は大体200円弱位の感覚であったか。

店でワイワイガヤガヤとやっている内に9時頃になると、例えば近くのレストランで働いていたイタリア系女性で明るいナタリー(仮名)や、OLのフランス系イボンヌ(仮名)も帰り掛けに立ち寄ることが多かった。

 

彼女達が来ると店が更に明るくなる感じだ。或る晩、店を出て私がメイを車で家に送る途中、もう一杯だけ引っ掛けて帰ろうということになった。

ところが、である。車を或るバーの前で止めて、ナタリーを先に下ろした。そして私が車を路肩に沿ってバックして駐車しようとした。

 

すると驚いたことに何と歩道で待っていた筈のメイが車道に下りて車の斜め後ろに立っていたのだ。車がメイに一寸触れたのか彼女が転んだ。

しまった!と思って車から跳び降りて駆け寄ると、『大丈夫よ!心配しないで!大丈夫だから!』と笑い飛ばしていた。手を貸そうとしたら彼女は自分で立ち上がった。

 

翌日気になったので昼休みに彼女の勤務先のレストランに見舞に行った。

 

用意して来た花を恐縮しながら渡して、『どうなった?』と訊いた。プレゼントを素直に大きなジェスチュアで喜んでくれた。

 

そしていつもの悪戯っぽい目付きで『カズ(注:私のニックネーム)何でもないわよ。ほら見てよ。こんな程度だから。気にしないでよ!』と事も無げに言ったかと思うと、いきなりスカートの裾をたくし上げた。

 

眩しい腿に青い痣が何か蝶の形の様に出来ていた。更に曰く『カズ、忘れたの。わたしは自慢じゃないがイタリヤのシシリーの生まれよ。小さい時からスゴイお転婆で木から落ちたり、男の子と喧嘩したり。此の程度の傷は屁の河童よ。』と。相変わらずオーソレミヨの明るさであった。

 

米国は訴訟社会という。その通りと思う。

猫の飼い主のおばさんが猫をシャンプーしてから、乾かそうと思って電子レンジに入れたら猫が死んじゃったのでメーカーを提訴した、そしたら確かに取扱説明書には、そうしたらいけないとは書いて無かったので勝訴した、という例の有名な話から始まり、家に招待した客が室内で何かに躓いて転んだら招待主が訴えられ敗訴したとか、呆れた話が沢山伝えられている。

 

でもビジネスでも社会生活でも全て訴訟万能と極め付けるのは短絡的である。