最新情報    お知らせ    交流ひろば    YOKOSO to Funabashi    掲示板    日本語教室    姉妹・友好都市    国際交流協会    リンク


塩田悦三郎

  1. 砂漠はお花畑

まさか1年で2度もチリ北部の砂漠地帯に行けるなんて!

サンチャゴの友人たちが,異口同音に「砂漠の花」(Desierto Florido)を見ることを促すのです。「10年に1度のチャンス」と言って、行かなければ大損かの如く言うのです。9月18日のチリの独立記念日を挟んでの連休を利用して、再び「アタカマ砂漠」に飛びました。今回はそのご報告です。

「アタカマ砂漠」は、本レポート18で報告した「月の谷」を含んで南北1000kmに連なる大砂漠。今回の「砂漠の花見」ツアーは、その最南端のラセレナを起点にパン・アメリアカン・ハイウエイを北上すること200キロメートルのドライブ旅行でした。

「砂漠の花」がなぜ人気あるかというと、10年に1度とか5年に1度しか咲かないからです。冒頭に10年に1度と書いたのは誇大表現ではありません。かつてはそうだったのです。6〜8月に例年以上に雨が降れば、9月から10月にかけて「砂漠の花見」ができるのです。この数年間は、その周期が短くなりつつあるようです。この20年間で5回の「砂漠の花見」ができたとのことですので、周期は、「4年に1回」というのが妥当かもしれません。

サボテンと寄生植物

サボテンの花かと見紛う

寄生植物名前は残念ながら聞き取れなかった

リリオ・デル・カンポ(野のアヤメ)

ガイドのみ知る小高い丘の側面に咲いていた

ひっそりとされどあでやか

「お花畑」そのものは日本アルプスや八ヶ岳のそれとは比較になりませんが、茶色一色の砂漠が、とつぜん、緑の葉と赤・黄・白・青色の花に覆われるのですからサンチャゴの友人たちが勧めるのは当然です。さらに、今見ているこの「お花畑」が去年の同じ時期には茶色一色だったのを見ておけば、感激も一入だったに違いありません。

読者のみなさんは既にご存知かもしれませんが、砂漠の花が一斉に咲く理由は極めて簡単。乾燥しきって半ば死んでいた植物の種子や小枝が、久しぶりに水分を得て生き返ったも同然になるのです。彼らはこのチャンスを逃すと2度と生き返れないと必死になって、短い間に花を咲かせ、蜜を昆虫に与え、種子を小鳥に啄ばませたりして種の保存を図っているのです。砂漠の花の命が2・3週間と短いのはそのせいです。

アニャニュカ

代表的な砂漠のお花畑の光景

去年はこの地は何もなかった

アニャニュカは、アマリリスの仲間

黄色・白・赤・オレンジと多彩

このように考えると、私が「砂漠の花見」ツアーに急きょ参加したことが正当化されてまいります。遠く日本からこの「砂漠の花見」ツアーに参加しているグループと同じホテルに宿泊しました。なんと贅沢なツアーでしょう。サンチャゴに住んでいる私がようやくやって来たのに。しかも、彼女ら(男性もいましたが少数でした)は、北から南への「砂漠の花」の“追っかけ”をやっているのです。チリ人が「日本人は金持ちだ」と思う理由の一端を知らされました。

野暮なことをいうのは止めます。美しいものは美しいと素直に感じ入りましょう。確かに「これが砂漠か?」と思えてなりませんでした。私は、ガイドに何度も尋ねました。「本当に去年は何もなかったのか」と。彼は答えました。「ありませんでした。わずかに潅木があっても、それらはすべて茶色でした」と。

むかし、「砂漠は生きている」という映画がありました。これは若干“やらせ”もあったようですが、砂漠で様々な生物が苦労して生きている様子が映し出されていました。今、それを目の当たりにしているのです。やっぱり無理してきて良かった。

この次に、この「砂漠の花見」ができるはいつになるのでしょうか。皆さんがチリにお出でになった時、この「砂漠の花見」ができるといいですね。

  1. さようなら、サンチャゴ

ついにやってきてしまいました、サンチャゴとのお別れの時が。私はまもなく日本へ帰ります。1年間、チリのみなさまにはたいへんお世話になり、ありがとうございました。チリと日本は、南半球・北半球と全く反対の位置にありますが、共通点もたくさんあります。今回はチリと日本の共通点・相違点を述べさせていただいてお別れの言葉に代えたいと存じます。

第一に、閉鎖的なこと。これはなんといっても両国の地形から来ています。チリの国境は,東はアンデスの山々、西は太平洋と言える。四方海に囲まれている日本も同じことが言える。第二に、底抜けの明るさがないこと。サンチャゴ市内を歩いてみるとすぐ分かる。笑顔・飛び交う笑い声が少ない。多分東京も同じでしょう。1対1または気のあった友と話す時は冗談も飛び交うが、日中の街並みでそれを見るのは珍しい。みんな気難しい顔つきだ。

アルマス広場の花車

サンチャゴの中心にあるアルマス広場

広場にはこのような「花車」がたくさんおいてある

アディオス、アンデス!

アンデスは,5千メートル級の山々が延々と連なる自然の国境

サンチャゴからサンパウロ(ブラジル)に向かう機上より撮影

共通点の最大は、四季があることだ。サンチャゴは、今春たけなわで町並みを通り抜けるそよ風は心地好い。日本の友とメールを交換しているとどうもこの感覚がずれてしまう。熱帯夜・台風・秋の訪れ等の言葉は聴いても実感が伴わない。日本へ帰る時の服装はどうすればいいのだろう。

太平洋戦争というと、我々日本人は真珠湾攻撃から一連の苦い経験を思い出すが、チリ人はそうでない。彼等の太平洋戦争は、1879年の対ペルー・ボリビアとの戦争をいう。2カ国を相手に勝利し、鉱物資源の多い北部の領土を獲得した。開戦記念日は国民の祝日となっており、大統領はじめ全国民が盛大に祝っている。ペルー・ボリビア国民の胸中如何。

戦争の話といえば、2つの異なるグループと相前後して話す機会があった。「日本が蒙古軍を打ち破ったり、中国やロシアの大国を相手に勝利を収めたのは何故か」と質問された。特別に世界史を勉強したと思えないグループなのに。しかも私と話すことが前以て分かっていたはずがないのにこんな質問をするなんて。私は、「運がよかったのだろう。」といって話題を変える。

サンチャゴと私の1年間を振り返ると、初めの頃は「物珍しさ」が目立ったが、次に「どうして」という疑問が多くなって、時には怒りを感じたこともある。本レポート8で小売店の接客態度を批判したように。しかし、1年近くなるとその感じも薄れ、同化しつつある己に気付く。どうやら国境という言葉が私の辞書からなくなりつつあ るようだ。 

最後に、読者の皆様に一言ご挨拶をさせていただきます。

5月から約6ヶ月間、お付き合いいただきましてありがとうございました。毎回取り上げたテーマはもちろん、内容そのものもかなり偏っていたのではないでしょうか。文章も不統一で、これが日本語教師の文章かと思われたにちがいありません。みなさまからのご意見ご感想がたいへんうれしくて、それらの支えでどうにか本号までたどりつく事 ができました。心より御礼申し上げます。

私はまもなく日本へ帰ります。日本から見るチリは、多少違っているのではないでしょうか。許されるならば、再度本誌でお会いしたいものです。

アディオス!

チリに渡り、日本語を教えているWebマスタの友人、塩田悦三郎さんが、知人のメールマガジンに投稿しているサンチャゴレポートという記事を、そのメールマガジン「609studio( http://www.609studio.com/home.html )」とご本人の了解を戴き転載させて頂いているものです。