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豊田 芳子

 

6月初めこの「交流ひろば」 に寄稿した、ミャンマーでチャリティー活動をしているジンジャーが私たちの二和ACEに来て話をしたのは、2年半くらい前だった。顔を見れば日本人なのに、流れるようなきれいなアメリカ英語を話す彼女とは、それから親しい付き合いが始まった。

その後彼女はご主人の仕事先のミャンマーを行ったり来たりするようになったが、初めて行った時は、帰ってきてからミャンマーの現状、特に子供たちの様子や、教育現場での教材も設備も整わない状態を何度も私たちに聞かせた。そして、彼女は自分に出来る方法として、現地の民芸品を買ってきて、それを売って資金を作るチャリティー活動を始めた。

彼女の紹介でミャンマーを知れば知るほど、豊かな生活をしている私たちにはびっくりするような貧しい生活がそこにあった。私たち日本人だって、戦後の貧しい時代があったのだということを思い出し、また安定しない軍事政権の下で教育を受けている子供達のためになんとかしてあげたいという思いで、彼女への協力を惜しまずにした。

 

そして、何度も彼女からミャンマーの話を聞くうちに、一度この国を見てみたくなった。去年の暮れに何度目かのミャンマー行きをすることになった彼女は、気候の良い1月頃にミャンマーへ旅行することをすすめてくれた。向こうでは彼女が待っていてくれて、ホテルや観光の手配をしてくれるという。私は友人と三人で、1月の末から2月の始めにかけてミャンマーを訪れることになった。

バンコク経由でヤンゴンに着いた日は、からりと良く晴れた暑い日だった。冬の日本から行った我々にとっては真夏の暑さを感じたが、現地では一応冬ということで、長袖のセーターを着ている人たちがいて、一年中夏服しか着ない国と思っていた私たちはちょっとびっくりした。

ミャンマーへ行く前のジンジャーとの打ち合わせで、私たちは女の子の孤児院の見学を希望した。ジンジャーはその孤児院の話をよく私たちに聞かせ、その子供たちの作品を買い上げてきて、私たちに売って資金の一部にしていた。ビデオカメラでも見たが、まだ12-3歳くらいの女の子たちが集って、刺繍やレース編みの作品を作っていた。

現地からのジンジャーのメールで、その他にも僧院付属の学校見学も予定の中に入っていることがわかり、子供たちと一緒に楽しもうと思い、私たちは沢山の折り紙を用意して来ていた。折り紙など子供たちが小さい頃に一緒に折ってから、一体何年くらい経つのだろう。

初日から僧院付属の学校訪問があることがわかっていたので、私たち三人は行く前の打ち合わせの時も、また行きの飛行機の中でも何種類かを練習した。バンコクからヤンゴンへ行く飛行機の中でも練習していたが、それを見ていたカナダ人の親子に声をかけられ、「娘に一つ頂けませんか。」と言われたので、彼女に折り方を教え、紙を何枚かあげるというおまけもあった。

初日の午後、観光も何もしないうちに、早速僧院付属の学校を訪問した。行く前にジンジャーから注意事項の説明があった。「この僧院のある辺りは、ヤンゴンでも特に貧しい人たちの住んでいるところなので、カメラはだめ。またどこかを指差してもだめ。要するに、外国人がミャンマーの貧しい、恥になるようなところを、物珍しそうに見に行くと、その近所の人が怒って警察に通報するかも知れないので、絶対に住民を刺激するようなことはしないで。」

私たちも緊張して、なるべく周りをじろじろ見ないようにして歩いたが、バナナの皮で屋根を葺いた粗末な家が建ち並び、家の前で、たらいに水を入れて行水をしている女性もいた。 

僧院の学校とは、家が貧しくて学校に通えない子供や孤児を、僧院の中で、僧侶やボランティアの人たちが教えている施設だが、ここの学校は粗末な掘っ建て小屋の土の床に板を敷いて、簡単な机があるだけのものだった。

私たちが入って行くと、子供たちが胸の前で合掌しながら現れた。小さな子供はまだ3歳くらいだった。私たちは、ジンジャーの上司である教育大学の女性教授の通訳で、自己紹介をした後、早速折り紙指導に取り掛かった。家からボート、風車、二艘舟と変化していく折り紙を子供たちは不器用ながらも、何とか折っていった。

最初はおずおずとおとなしかった子供たちが折り紙で色々なものが出来るたびに歓声をあげ、次に風船を教えると大喜びで、次々と作っては、フーっと吹いて膨らまし、顔を輝かせて遊んでいた。おもちゃであふれかえった日本の子供たちに比べ、折り紙を大喜びしているこの子供たちを切ないような気持で眺めた。

最終日には当初の目的の、女の子の孤児院を訪ねた。ジンジャーのビデオで見たことのある女の子たちが枕カバーに刺繍をしていた。ここの子供たちは僧院学校の子供たちより大きい上、女の子のせいか折り紙を覚えるのも早く、上手に作って私たちに見せにきた。

また、彼女たちは刺繍や、レース編みの作品を持ってきては、「これ、私が作ったの。」と誇らしげに見せた。ここで大きくなった女の子たちは将来どうするのだろう。幸せな人生を歩んで欲しいと願わずにはいられなかった。

後になってジンジャーからこう言われた。「三人が訪ねていった僧院学校や孤児院の子供たちにとって、変化の無い日常に、ある日突然三人の日本人が現れて、折り紙を一緒に楽しんだということは、一生忘れられない思い出になるはずよ。」私たちにとっても、普通の観光旅行だけでは得られない貴重な体験になった。