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坂口 昭三

好き嫌いはともかく、英語は国際語である。もし世界の国々の人々と交流したいと思うなら、英語を話したり、書いたり、読んだりする必要がある。しかし、英語力、とくに話したり聞いたりする力を育てるためには長期にわたる努力が必要だ。ほとんどの日本人学習者はこのプレッシャーに耐え切れず、学業半ばでやめてしまうのが普通である。私も昔途中で投げ出した口だ。

しかし9年前、私は定年退職を機会に勉強を再開した。ただその時、私は勉強の取り組み方を変えることにした。英語を勉強するのではなく、楽しむことにしたのである。それ以来、私はいくつかの地域のサークル活動に参加してきた。

今では英語を少しはしゃべり、聞き、理解することができるようになった。目的は半ば達成できたように思えて満足だった。その満足を無惨に打ち砕いたのが、昨年3月、アメリカから帰国した2人の孫たちである。

私には2人の孫がいる。上は昨年11月に7歳になった智咲(ちさ)、下は10月に5歳になった湧基(ゆうき)である。2人は両親と一緒に昨年3月まで2年間インディアナポリスに住んでいた。そのころ差し出がましくも私は考えたものだ。英語をものにするには2年間の滞在では足りない。帰国したらよく教えてやらねば…と。これがいかに子どものパワーを知らない考えかということを間もなく教えられることになる。

彼らは無事帰国した。今は千葉市内に住んでおり、週に1、2回私は彼らを訪れ、週末には彼らが船橋の私の家で過ごすことにしている。帰国後、彼らが遊んだり、けんかしたりするのを見ていて驚いたのは、お互いに英語でやりとりしていたことである。

「あ、それわたしのよ!」、「ボク、自分でできるよ」、「それ、私が好きなもの!」、「ボクの番だぞ!」…といった具合。しかし、彼らが英語をしゃべるのは当然だ。2年間もアメリカで生活してたんだから。

彼らはどのくらい英語をしゃべり、理解できるのだろうか。私の好奇心をかき立てるのにそう時間はかからなかった。私は孫娘をテストしてやろうと考えた。たまたま簡単な英語の実際の会話を記録したテープがあったので、それを聴かせることにした。その会話は、大人の男性がかけてきた電話を、小学生の小さい女の子が取り次ぐという簡単なものである。

男性:ああ、ハロー、そうだ…えーえと…ああ…ニックはおうち?

女の子:えーと、今、電話に出られないんですけど。

こんな簡単な会話だが、正直言って私は2行目の女の子のおしゃべりが聞き取れなかった。女の子は子ども特有のアクセントと早口でしゃべっていたからだ。孫娘は理解できるだろうか。それを知りたかった。

何というショック。テープを一度さらっと聴いただけで、孫娘は即座に、言葉を正確に捉え、意味を理解したのである。こうして最初のテストは孫の勝ち。しかし孫娘が子どもの会話を理解できるのは当然だ。2年間も、インディアナポリスの保育園にいたのだからと自分に言い聞かせてその場は納得した。

そこで、私は別のテストを試みた。ディズニー版の「不思議の国のアリス」という本があったので、孫娘に声に出して読ませてみた。彼女は大きな声ですらすらと読んだ。「話の内容よくわかるの?」いぶかしそうに私は聞いた。「うん」彼女はきっぱりと答えた。何でそんなことを聞くのと言いたげだ。それも道理。彼女は帰国するまでの半年間、地元の小学校の1年生として授業を受けていたのだ。いずれにしろ第2のテストも孫娘の勝ち。

孫たちは、一般に日本の子どもたちが好きなように漫画が好きだ。私が夕方彼らを訪ねると、テレビを見ていることが多い。好きな番組の一つはNHKの忍者もの「忍たま」である。彼らと一緒にこの番組を見るのも私の楽しみの一つだ。しかし、たまに日本語のテレビ番組を、アメリカから持ち帰った英語のビデオテープにスイッチすることがある。チャネル権ならぬ選択権は私にはない。この時が私にとって最悪の時間となる。孫たちがスクリーンを見ている間、私は疎外感と欲求不満にさいなまれ続ける。テレビ画面の登場人物がしゃべっている言葉がほとんど理解できないからだ。

考えてみれば、中断した時期を除いても私は孫たちよりずっと長く英語を習ってきた。私は学習者として怠け者だったのだろうか。そうは思わない。私と孫たちとの学習の違いはどこにあるのだろうか。

私は、自分の娘、つまり孫たちの母親からアメリカにおける孫たちの生活についていろいろ聞かされた。両親が仕事を持っていたので、孫たちは昼間、保育園のお世話になっていた。誰も日本語をしゃべらない場所で1日過ごすのは、どんなに心細く、寂しかったろう。ものすごいプレッシャーを感じたに違いない。

母親の話では、孫たちは英語の勉強だけではなく、向こうの生活習慣に慣れることに苦労したようだ。先生たちは親切でやさしい。しかし先生の英語が全然理解できない。子どもたちのグループに加わろうと思っても、その気持ちを仲間の子どもたちに一言も伝えることができないのである。

ほかにやることがないから、孫娘は毎日テレビを見ていた。もちろんテレビでしゃべっている言葉は一言もわからない。それでも彼女はテレビを見続けた。このころ孫娘はべそをかくことが多く、母親に一刻も早く迎えに来るようにせがむ毎日だったという。

弟の湧基の方はその点、幸運だった。彼は当時まだ3歳。言葉や生活習慣のギャップを感じるには幼な過ぎたようだ。日本語さえ複雑なことはまだしゃべれなかったのだ。

こうして半年が過ぎた頃、孫娘の言葉を借りれば、「突然に」テレビの英語が理解できるようになったという。事態はこの時点を境に急展開するようになる。孫娘は積極的に子どものグループに参加し、友達に話しかけるようになった。もちろん英語である。

孫娘は幸運なことに、親切で献身的な女の先生に助けられた。先生は彼女に基本的な会話だけではなく、マナーや読書、作文、算数その他生活に必要なことはすべて教えてくれたそうだ。

ここまで孫たちの話を聞いて、私は孫娘と私の学習の違いを納得することができた。孫娘の学習は年数にすれば私より遙かに短いが、その濃密な体験によって実質的に私の何倍も多くのことを身につけることができたに違いない。それにしても、「ある日”突然に”、英語が分かるようになった」とはどういう意味なのか。オジンはそこを知りたいのだ。その感覚がわかれば、国内で英語学習をする者にとっても何か学習方法のヒントを得られるのではないかなどと想像しながら、どん欲にこの孫娘を観察している。

前述の2つのテストといい、英語のビデオテープの一件といい、オジンは完敗した。しかし、英語学習者としてはショックである半面、孫たちが苦労を乗り越えてここまで成長したことに私は何ものにも代え難い喜びを感じている。

智咲は今、地元の小学校の1年生。湧基は小学校まであと1年以上残している。私がこれから彼らのためにしてやれることは、まずよい日本語とマナーを身につける手助けをすること、そして回り道をした(とつくづく思う)自分の学習経験を生かして、現地で鍛えた彼らの英語力を錆び付かせないようにサポートすることである。そうすることによって平凡でも次の時代を背負える日本人に、そして世界のよき隣人に育ってくれることを心から願っている。