The Gingerbread Kids Charity

 

村中ジンジャー

伝統的ミャンマードレス

を着た筆者

2001年10月私は初めてタイのにある東南アジアの国ミャンマーへ行きました。夫が仕事でミャンマーへ派遣されましたので、私はミャンマーではゆっくり休んで、色々ショッピングが楽しめると思っていました。しかし、バカンス気分以上、色々大切な経験が出来ました。ミャンマーのおかげで、私の人生が変わりました。 

ミャンマーの国民は優しくて寛大です。私を心から歓迎してくれたことに感動しました。

私はミャンマーの首都ヤンゴン市にある教育大学で英語を教えました。そこの先生達がミャンマーの学校孤児院現状について色々教えてくれました。例えば、先生の月給は約600円で、学校には水道もなく、電気もなく、何の家具もありません。

それを知って、少しでも助ける為に何かをしてあげようと決心しました。しかし、ミャンマー語が出来ない私は何をすれば良いか全く分かりませんでした。一年に三回ミャンマーと日本の間を行ったり来たりするので、日本で募金活動をして、ミャンマーにそのお金を寄付することが一番良い方法ではないと考えました。The Gingerbread Kids Charity と言うチャリティーが誕生しました。

ミャンマーの素晴らしい伝統的な手工芸品を買って、日本で売ろうと決めました。私と夫は最初6000円を出して、ミャンマーの名物である漆塗りを買いました。日本で色々な英会話サークルとか友達の家を回って、これらの物を売って、結局6万円を集めました。このお金で1000冊の英語の教科書、100冊の辞書、鉛筆、クレヨンなどをミャンマーで買って、小・中・高校に寄付しました.ミャンマーの人達はとても感謝してくれました!たった一人でミャンマーの人達を助けることが出来たことに誰よりも私がびっくりしました。

 

   

ヤンゴンの男子孤児院と女子孤児院にて

それぞれ、6歳から18歳までの少年、少女が在籍している

それぞれ、右端と左端が筆者

募金活動をもう一回やって、今度は10万円の売上が出来ました。それに、ミャンマーではその国に駐在している日本人の奥様達に英語を教えて、その授業料も寄付しました。こうして現金、150枚シャツと短パンの洋服セットと2週間分の赤ちゃん用の粉ミルクを三つの孤児院に寄付して、教室の家具と辞書を三つの教育大学にあげました。

更に一年間の奨学金をPhoさん(23才の女性)にあげました。彼女の両親は自分の農場と牛をぜんぶ売ってしまったにもかかわらず、娘の学費を払らえなくて、Phoさんは途中で学校を辞めなければなりませんでした。しかし、皆様のおかげで、彼女に奨学金を渡すことができました。それで、Phoさんは2003年1月大学を卒業予定で、その後英語の高校教師になるそうです。

子供達への募金活動は私を全く新しい世界へと導いてくれました。ミャンマーでも日本でも、心暖かく、寛大なことこの上ないと思われる方々にお会いできました。

本当の豊かさとはお金とか、ブランドのバッグを持っているとか、どんな車に乗っているかというものではないということ分かるようになりました。私たちの存在が人の為に役立っていると知った時、私達は本当に心豊かになるのです。募金活動中、費用は自分で負担し、全ての利益を寄付しました。私の財布はしばしば、空っぽになるかもしれませんが、これほど心満たされた事は今までありません。

自己紹介

私は、日系三世で、1969念10月14日米国カリフォルニア州ロスアンゼルスで生まれました。最初に日本に来たのは、英語と芸術の学位を取り大学を卒業した後で、当時22歳でした。香川県のJET(「語学指導等を行う外国青年招致事業」(The Japan Exchange and Teaching Programme))として、坂出高校、坂出商業、坂出工業の三つの高校で教鞭をとりました。 私は、坂出高校の仲間の先生と婚約しました。そして、彼と共に、カリフォリニアに戻り、大学院に入りました。モントレー国際大学で、婚約者共々、国際環境政策の学位を取得し卒業しました。卒業後間もなく私たちは結婚し、千葉に引っ越してきました。仕事で、夫は、しばしば外国に出かけます。夫は、ミャンマープロジェクトに携わって、2年以上になります。夫の出張に同行し、ミャンマーで、困窮している人びとを助けるために援助をはじめました。