王 冰

             テュイルリー公園
   写真をクリックするとマスネーの「瞑想曲」が流れます。

パリというと、たいていの人は直ぐ、エッフェル塔、凱旋門、ルーブル宮、シャンゼリゼー通りを思い浮かべるだろう。パリは長い歴史を持つ美しい都で、国際的な文化と観光の都市である。かつてパリは社会治安が悪く多くの旅行客を不安にさせていた。特に“こそ泥達”は日本の旅行客をずっと第一標的にしてきた。しかし今は、旅行者達は皆警戒心が高まり自分を護る方法を知っている。しかしながら、もしあなた方が防犯方法を心得ているからといって、思う存分観光できると思っているとしたら、それは大きな間違いである。二本足の防備にのみ注意を払うだけではいけない。実際あなた方は到る所で“四つ足”に遭遇するであろう。つまりそれは犬である。犬はかつては、貴族が愛玩動物として独占所有していたが今や各階層、各人種のあらゆる人々が犬を飼っている。犬を連れた人々があちらこちらで行列をつくっている様は、パリの一代風物である。 

犬の祖先が人類に飼い慣らされて以来、彼らは人類の友達として人間生活の中で不可欠の部分を占めるようになった。しかし人と犬との関係は日本とフランスでは大きく異なっている。日本では、犬の主人はある意味では犬に服従的である。つまり犬が主人であるといえる。犬を連れている人は犬の随時の用便の始末のためにいつも手に小さなスコップと袋を持ち歩いている。時にはあなた方は更に丁寧な人を見かけたりする。彼らは犬のために衛生紙を準備し、犬の“用便”を待って尻を拭ってやっている。日本の犬は日本人と同様謙虚で遠慮深い。犬たちは“完全に用を足した後”自分でそれを埋めることさえ承知している。もしこの光景をパリ人とパリの犬達が見たとしたら、きっと“あらら”とか“わんわんわん”と驚いて顔色が変わるかもしれない。パリの犬の運命は日本にいる同類達とは違う。彼らはその主人と対等であると思っていられるだけが精一杯である。パリの犬はパリ市民と同様自己中心的で、自由と民主主義の環境の中で、はばかりなく所かまわず用を足し、しかる後に平然と立ち去っていく。そして犬の主人はこのことを全く気していない。これは日本では想像もつかない事かもしれない。

たとえ喜び勇んでパリ観光にやってきても、犬の糞を踏んでしまったとしたら興ざめであることは想像に難くない。不思議なことに、パリ人達の足にはいい目がついているようで、彼らには問題は出ない;そして“くそ地雷”の待ち伏せにでくわす絶対多数の人は外国人旅行者である。私本人もまだ受難を免れる幸運を持ち合わせていない:今回、パリに来たばかりの第二日目の早朝と第三日目の夕方、凱旋門附近とシャンゼリゼー通りで早速待ち伏せに出あった。足に頼れる“鶏眼(うおのめ)”があったとしても、それがあろうとなかろうとあなた方はテクニックが必要である。あなた方は、まさかパリ市役所が事態をほおっているわけではないと思うだろう。そのとうり、パリ市役所は道路上の犬の糞便を清掃するために、1982年の開設以来犬の糞便清掃車を使用している。この他に市は毎年7500万フランを支出し、650人の清掃人を雇い、パリ20区500ヘクタールの人道上を清掃している。また同時にパリ市は48個所の犬糞便棄却場を設け、規則違反行為には罰則もあるがなすすべもなく、パリの20万匹の犬のために毎日少なくとも16トンの汚物を清掃しなければならない。多少清掃人を増やしたところで、糞便が多すぎ焼け石に水である。このため目前の汚物問題は市長選出の際の論点であるばかりでなく、オリンピック開催申請の障害ともなっている。皆さん、あなた方には“くそたれ!”が今パリで、何故非常に便利な“罵倒”の言葉になっているのかを理解できないでしょう。

ところで、第2便でなぞなぞを出しましたが、その解答をお教えします。

1、蛇(海老)  2,白菜(悪妻) 3,響き(鼾)