中村美紀

私は、船橋で高校を卒業後、ヘイワード市内の州立短大、カリフォルニア州立大学へ進学し、大学を卒業したあと1年間一般企業で働いた後、帰国しました。

その間、ヘイワード・船橋姉妹都市委員会の中心となって活動されている鶴本さんご夫妻宅にお世話になり、そのお陰でたくさんの素晴らしい船橋市民の皆様と知り合うことができ、充実した留学生活を送ることができました。 

しかし、昨年10月13日に鶴本世津子さんが、心臓の手術をサンフランシスコ市内の病院でうけられることになり、突然の病気の知らせに私も驚き、急遽アメリカへ向かいました。  

私が病院に到着したのは、世津子さんの手術が終了した少しあとで、心臓外科の集中治療室で、2ヶ月ぶりの再会をしました。 

このような形で再会するとは、夢にも思っていませんでしたので、集中治療室の中でベッドに横たわる世津子さんの姿を見たとき、いつもの姿からは想像できないような弱々しいものだったので、ショックのあまりに、涙がでてきました。 

船橋からもたくさんの生徒が鶴本さんのお宅にことあるごとに集まったりしていましたが、「病人」という言葉が全く似合わない人でしたので、きっとこのニュースを知ったひとは驚いているかと思います。 

手術後の経過も順調で、心臓の大手術をして6日目に退院することができました。日本では信じられないような速さで退院できました。退院までの間でも、手術をしてから2日後には、歩いてトイレに行ったり、いろいろな体力回復のためのリハビリが行われました。驚くべきスピード退院のようですが、これはアメリカでは、それ程驚くことではないそうです。 

退院後2ヶ月間は、私がいろいろとお世話をさせていただきましたが、世津子さんの食欲もみるみる出てきて、すがすがしい秋晴れの中、「外に出て積極的に歩くこともリハビリのうち」と、週に3度巡回してくる看護婦さんや定期診断をしてくれるお医者さんたちに言われたので、1日に階段の昇り下りを5段ずつから始め、30分間の散歩、やがては半日、1日、近くのショッピングセンターへ行ったり、クリスマス近くになると、クリスマスのプレゼントを見て周ったりと、みるみる元気になり、私が帰国する寸前には自ら台所に立ち、料理をできるほどまでに回復していました。 

大好きなお酒はワインを少しですが、退院後1ヶ月程で、復帰。新年には、船橋からのお客さんを早速御もてなししたということも伺いました。今年の秋には姉妹都市提携15周年の記念式典がヘイワードでありますので、今からそれに向けて、準備に忙しく追われているようです。

さて、ヘイワードを訪れている方々も船橋の中にはたくさんいらっしゃると思いますが、年間を通じて温暖な気候に恵まれ、様々な人種が住み、最近ではシリコンバレーに通う人々のベッドタウンとして、また、日系企業が集まる商業都市として、今尚栄えています。 

10月の姉妹都市提携15周年記念式典には、多くの方々が船橋市から出席し、文化交流を深めていけたらいいのではないかと思います。 

「国際化」「IT化」が盛んに叫ばれていますが、国際化を進めるには、まず自分の国を一歩離れて、外から見ることが必要だと思います。「今の日本は.....」と、ネガティブなイメージばかりを先に上げる人たちもたくさんいるようですが、日本を離れて生活してみると、日本のネガティブなところも勿論見えてきますが、それ以上に日本の素晴らしい文化、大切にしていきたいと思う美しい日本の心、又、「日本がどれ程、様々な面で恵まれた国か」など、きっと見えてくると思います。

自分の国の良いところ、改善すべきところ、この両方を理解してこそ、真の国際化が行うことができると思います。

この15周年記念を期に一人でも多くの船橋の方々がヘイワードへ行き、様々なレベルでの文化交流をできることを期待しています。