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No 9

 

その6 

 

 
 糖葫蘆(さんざしの実の飴からめ)  道子パソコン画

 保証人になった第一号
 

(道子記)

 

最初に山東省に行った1990年代は、中国人の日本留学は今のように簡単ではありまませんでした。


政府交換レベルの留学か会社の技術研修の留学以外は、本人にある程度の外貨の準備あって、日本人の保証人がいる人にのみ留学のチャンスが開けるという時代でした。

その頃の日本人保証人の資格は留学生が学ぶことになる大学近くに住み、年収が何百万円以上というものでした。

 

その頃夫はまだ現職でしたのでそれに該当し、関東地方に住んでいるというので日本に留学したい中国人が「保証人」を頼みたくて何人も夫に近づいてきたわけです。

人のいい夫は結局年度をずらして済南で知り合った3人の留学生の保証人になりました。


李銘敬先生のようにしっかり勉強し博士になって今も交友を続けている人、音信不通になった人など留学生も様々です。

 

私たちは「来るものは拒まず、去るものは追わず」と心に決め、その時々に心をこめて学生達の留学の手助けをしてきました。

私たちの「保証人第1号」なったのは「日本で美術を勉強したい」という大学出の30代の美しいSさんという女性でした。


家族のぐるみのお付き合いもした結果、保証人になることを決めました。

書類だけの保証人ではなく、入国書類の手続、日本語学校探し、部屋探し、空港への出迎え、日用品整え、我が家にも何回も迎え、本当の意味の身元引受人をやりました。


ちょうどその頃、中国語科の学生だった私の長女が通訳をして手助ってくれました。

ところがSさんが日本に留学して1年目、アルバイトに忙しくなり、あまり勉強しなくなったのです。


どうも恋人もできたようなのです。紹介した日本語学校からもSさんが学校に来なくなったとの知らせをうけました。

夫はとても怒りました。そして酷なようでしたが「勉強しないなら保証人は打ち切る」と彼女に宣言しました。


それからSさんとはすっかり音信普通になっていました。心配でもありましたが30過ぎの大人ですから詮索はしないことにしました。

ところがそれから
12年目、2005年私たちがタジキスタンにいたとき、Sさんから突然のメールがきました。彼女はずっと私たちを探していたようです。

私たちの日本の住所が東京から千葉に移っていたの探すのに苦労したそうです。
インターネットの検索で私のホームページを探しあてて連絡してきたのです。

Sさんは「先生一家のご恩は忘れたことがありません。現在私の日本での生活も落ちつき幸せに過ごしています。、是非先生にお会いしたい。」というのです。

春節の日本帰国のおり、都心でSさんとの
12年ぶりの再会を果たしました。丁度通訳を手伝った私の娘も我が家に帰省中でしたので一緒に彼女に会いに行きました。

なんとSさんは「サクセスストーリー」のヒロインそのものでした。


現在は都心の一等地のビルの17階に仕事の事務所と住居を構え、日本人の優しいご主人を持ち、家庭も円満、会社も順調とのことです。外国に別荘も持ち、溜息のでるような高級生活ぶりでした。中国に置いてきた娘も日本に呼び寄せ大学に出していました。

運もさることながら、12年間の彼女自身の努力も並大抵ではなかったことでしょう。
彼女の日本語は書くも、しゃべるも日本人と差がありませんでした。
「本当に良くがんばったねー。おめでとう。」と成功を祝しました。

「日本に来る事が出来たこと、今の幸せは先生のおかげです。先生たちを忘れたことはありませんでした」と感謝してくれました。


その日は優しいご主人のお誘いで「かに料理」のお店へ。そしてお礼にとプレゼント品もいただきました。

私たちもずっと気になっていた人なので、Sさんの現在の幸福を心から喜びました。
それにしてもSさんの上昇志向と、ねばり強さと、したたかさには脱帽してしまいました。


筆工房・山東省は書画の歴史も深く、その愛好者も多い地です。
済南郊外の工場に見学に行った時のスナップ。



「教学奨」を受けたこと 
 (克敏記)

もうすぐ帰国するという6月末、私は山東省から「教学奨」を頂きました。

「教学奨」というのは、この1年、山東省で教鞭を執った外国人への表彰制度で、山東省教育委員会が綿密な調査の末決定するのだそうです。

この1年、山東省で教鞭を執った外国人は数百名にのぼったといいます。

そんな中から受賞者は20名、私以外はみな白人です。

私の受賞は、大変数少ない東洋系外国人教師の代表としてのものだったのでしょう。

今まで波風の立ちやすかった東洋の国々が、もっと手を携えて進むべきだという励ましと受け止めました。
 
山東大学の一年間は多くの経験をし実り多いものでした。

帰国後、私は再び都立高校の教員に戻りました。

5年後、55歳で早期退職し再び中国にボランティアの日本語教師となって渡ることになります。

第二の人生となる外国10年間の日本語教師生活に入るきっかけは、この最初の山東省の人々との触れ合いだと思っています。




 山東大学は終了します。

(No8・2009・5・1記) 次回つづく



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