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No 30・最終回


山東大学
 

山東大学・西門
山東大学概況

最後に行ったのは山東大学です。


この大学は夫が18年前、都立高校教師時代に派遣されて 一年だけ日本語を教えに行った大学です。その当時の若かった教師が偉くなっていて、夫を是非にと再び招聘してくださいました。

一回目の山東大学のことは下記のバックナンバー4.5.6をご覧下さい。北京大学と同じぐらい歴史のある有名大学です。
 

暗記教育

 
山東省は全国一の受験激戦地で、高校生の受験勉強はものすごいものです。学生食堂には椅子がなかったそうで、立ったまま食事をして一刻も早く教室に戻って勉強に励んだそうです。

無事大学に入学できた学生たちは、優秀で真面目で暗記のベテラン揃いでした。悪く言えば純粋培養されたような個性のないガリベン学生が多かったと思います。

学生はいつも「これは試験に出ますか」と質問し、「どこからどこまで暗記すれば良いですか」といいます。私たちは「自分の頭の中で考える」習慣をつけさせたいと、授業を工夫しました。

夫の作文の授業は中国式パターンの優秀作品には良い点がつかないように指導したので学生たちは戸惑っていました。

私の2年生の会話の試験も暗記しただけでは良い成績が取れないようにしました。試験もペーパーテストと口頭試問の両方を行ました。

学生に日本事情、歴史・経済、文化習慣、中国との違いなどを質問し、自分の言葉で自分の考えを話させました。もちろんヒヤリングが出来なければ答えられません。

この試験の方法は時間がかかり夕方まで、二クラス50人の学生ですから二日にわたりました。私には重労働でした。しかし、今も一人一人の学生の答えた内容や顔が目に浮かび、懐かしい思い出になりました。


ドイツ教会

ドクターストップ

               
11月になって私は一年生の体育の時間に加わりバドミントンをしていて転び、膝をくじいてしましました。学生に病院まで案内してもらいMRIもとりました。中国の大病院の設備や医師の水準もかなりのところまで来ているのでのでびっくりしました。保険はかけていないので全て自費でした。

診断の結果、医師は靭帯は切れていないが炎症がひどいので、授業を2週間ぐらい休んで安静にするようにいい、腫れと痛みを抑える応急処置をしてくれました。

しかし、授業を休むことは私の性格からもできません。なんとか教室までたどり着きさえすれば椅子に座って授業はできます。

最初はいつもの倍の時間をかけてゆっくりゆっくり歩いて登校しました。そのうち
自転車なら体重が膝にかからないし、片足だけでなんとか漕いでいけるので小さな自転車を買いました。

家から5分の距離で近いので助かりました。登下校時の一年の学生たちが手伝ってくれました。その親切は心打つものでした。

学生は毎朝 宿舎まで私を迎えにきて、自転車と一緒に走ってくれ、構内の階段も手をそえてくれました。優しい学生たちでした。

どうにか2ヵ月半休講しないで頑張りました。
春節休みの帰国の際は学生にお礼をいい、再会を約束して飛行機に乗りました。空港の移動は車椅子を頼みました。

日本の病院では「変形膝関節炎」と「膝骨の一部壊死」を診断され直ぐ手術となりました。
         
一方、今度は夫が「口がもつれて話がしにくい」といいだし、病院では「脳梗塞」と、診断され、再び山東大学に行くことに対してドクターストップがかかってしまいました。青天の霹靂でした

こうして、思いがけず二人とも病気になり、外国での日本語教師生活に終止符を打つことになりました。あっけない幕切れでした。やはり永年の疲れがたまっていたのだと思います。

山東大学と学生たちには大きな迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ない気持ちで一杯でした。遣り残した授業、学生にしてやりたかったことが山と残っていたのに本当に残念でした。
また、山東大学では年度途中で新たに日本人教師を二人も探すのは大変だったと思います。

宿舎に残した荷物は 広州に一家で赴任していた娘夫婦が済南まで行って処理してくれました。

 

今の幸せ

 

宮本教室のみなさんと
タジクのシェラーリ父子 新潟大学に留学した林君
 

山東行きを断念して1ヵ月後、夫が「膀胱癌」を宣告され即手術をしました。日本に居たから発見が早かったとのだとつくづく思いました。今はおかげさまで、後遺症も残さずどうにか元気で暮らしております。私の足も随分早く歩けるようになりました。

11年間、外国で教えた学生は1500人以上になるでしょうか。今も学生との交流は続き、嬉しいメールが時々届きます。彼らとの心の交流と思い出の数々は私たちの財産になりました。

家族の理解と友人知人、そして学生と現地の方々の助けがあったから11年もできたことで、改めて多くの方々に感謝します。

私たちは今、年金生活者ですが、夫は55歳で退職してボランテア日本語教師になったので、定年まで勤め上げた皆さんに比べて年金額がかなり安いことが最近わかりました。早期退職した当時は年金のことなど深く考えもしませんでした。

しかし、二人とも 55歳で踏み切ってよかった思っています。あの年齢で決心した外国日本語教師生活だったからこそ出来た仕事だった気がします。その勢いでタジキスタンにもシベリアにも行ってこれたし、選択に悔いはありません。

失うものよりより、何倍もの幸せを貰ったとしみじみ思うからです。

 

 

「日本語教師の思い出」を今回の30回をもって終了させていただきます。

 

長い間本当にありがとうございました。

 

このページの編集にあたり、ご指導、校正をしていただいた国際交流協会ボランティアのオキテルさんに深く感謝いたします。

なおパソコンで描いた外国の風景の絵が500枚前後になりました。よろしかったら私のHPの方にもお出かけくださいませ。  
                              

道子のパソコン画三昧   道子のパソコン画作品集

山東大学通りの並木道                            

 

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