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田端道子(090204)

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田端道子(090116)

 日本語教師時代の思い出・1

田端道子(090107)

書道体験と丑年年賀状作り

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・・・・北京の春節・・・・

2007年春節

8年前の外交学院時代の教え子の結婚式出席のため北京を訪ねました。

北京オリンピックのため。王府井もすっかりきれいになっていました。

教え子の結婚式には3回ほど出席し、ベビー誕生の便りも届きます。

派遣・契約のこと

3)個人契約

*・北京第二外国語大学  1999年9月から2年間)

*・厦門大学       (2001年9月から2年間)

*・北京理工大学     2003年9月から1年間)

外交学院で2年間過ごした後は派遣団体との契約は自然解消しました。

幸いというか夫の授業ぶりが良かったのか?次々に他の大学から「是非に」とお声がかかりました。私たちは相談の末、日本語教師をもうしばらく続けてみようということになりました。

それからの数年は個人で大学と直接契約を結びました。給料は大学の提示されるままで、北方は安く南方は高い傾向がありました。

1年に一回の往復の旅費は、いずれも夫の分だけ大学が出してくれましたし、もちろん外国人教師用の部屋も用意されてありました。

前期が終わったあと冬休み一時帰国して次の期の授業の準備のために資料を買い揃えたりコピーをしたりしました。そのときの1時帰国の旅費は自前ですし、旅費は大きな出費になりました。

 
北京理工大学

●2004年(財)日本シルバーボランティアーズからの派遣

*タジク国立言語大学 2004年9月から1年間)

*ロシア北方国際大学 2005年9月から1年間)

中国で7年教えたあと、今度はどこか違う国に行ってみたいと思い、この団体の窓口を叩きました。この団体は民間の派遣団体で、JICAはじめ他の派遣団体が派遣できないような僻地に率先して行く団体です。

教育のみならず、さまざまな技術の部門の派遣をしています。あくまでも「ボランティア」が基本ですから、企業の寄付とジャイカからの援助で運営されているとはいえ、経営はいつも火の車で、旅費はよくて片道だけ帰りはでません。

向こうでの生活は大学が負担するシステムになっています。この団体からは帰国後手当が月当たり2万円出ます。夫は日本人がめったに行けないところに行ってみたいという意欲が常にありましたのでタジキスタンに1年、次の年にロシア・マガダンに行くことになりました。

タジキスタン 首都ドシャンベ・・タジク国立言語大学

タジキスタンはソ連から独立後、誇りは取り戻したものの、ロシアの援助がなくなり経済が悪化し貧しい国になっていました。大学もお金がなくは私たちの給料は月に20ドルで住む部屋はありませんでした。

話が違うと言って、期待して私たちを待っていた日本語科の学生たちを置いて帰国するわけにはいきません。本当に大変な生活を余儀なくされました。

この国では他の外国人教師は全てその国の派遣でしたので豪邸に住み、優雅な暮らしをしていました。学生たちは豊かな日本は何故先生たちにお金をくれませんかと不思議がりました。

私たちはボランティア教師ですから仕方ありません。この国にも政治顧問のかたちでJICA派遣の日本人教授が一人いましたが大きなメイドつきの部屋に住み、私たちの生活とは雲泥の差でした。

私たちの後任ですが、シルバーボランテイア協会は大学側の現状の受け入れ態勢ではボランティア教師を派遣できないと判断し派遣中止しました。

私たちは国際交流基金やJICAにも教師を要請しましたが、派遣してもらえませんでした。それゆえ、私たち以後、学生の切なる願いにもかかわらず、日本人教師派遣はありません。

次の年はたまたまロシア語やタジク語を習いに来ていた日本人留学生学が本当のボランテイアで授業を引き継いでくれましたが、今はだれもいません。

私たちはタジキスタンでは最前線の兵士、夫とは戦友のよう気分で仕事をしました。

やりがいのある1年で喜びも苦しみも多く思い出が深い国となりました。

ロシア・マガダン・・ロシア北方国際大学

冬はマイナス20度になります。有名なコルマ街道があり流刑の地として知られています。日本兵も抑留されていたそうです。めったに見られない大自然や

北方の少数民族の人々と接することができました。またロシアの芸術文化の雰囲気も味合うことができました。


マガダン北方国際大学


エベン族の学生

    2007年・再び中国・●個人契約

厦門大学付属・嘉庚学院大学 (2007年9月から1年) 

*山東大学 (2008年9月から半年間)

ロシアのマガダンの次ぎに、再び中国・厦門に戻りました。厦門大学の先生が招いてくださいました。厦門大学の付属私立大学で個人契約です。

夫の19年前の教え子が山東大学の偉い教授になっておられその方から誘いがありました。残念ながら二人とも病気になり半年で帰国となりました。

二人三脚の10年半の外国での日本語教師に終止符をうちました。


厦門大学付属・嘉庚学院大学


山東大学 本校正門

現在思うこと

この20年の間 中国は目覚しい発展をとげ、大学も変わりました。また中国の大学は全て国立大学でしたが、私大も開校し、日本語を教える学校も増えました。おのずと日本語学習者も急増しています。

自由経済の流れに従いの国立大学への政府の援助は減り、大学は独立採算制を強いられ、トップの経営手腕が問われるようになりました。いかに良い学生を集めるか、いかにお金をもうけるか、いかに大学の名を知らしめるかが主になってきました。

外国人教師への扱いかわり事務的になってきました。よき時代の歓迎の風景はなくなりました。昔は日中友好のなごやかな心の交流があり、それがわたしたちの目的でもありました。

昔恒例の大学主催の外国人教師の歓迎パーティーや慰安旅行なども最近はなくなりました。今、日本人教師は珍しくもなくなり、ありがたがられもしません。外国人教師はただの契約教員で中国人教師の苦手な授業時間を埋めるだけのコマなってきました。

大学内はコンピューター化し、連絡事項も成績報告も全てコンピューター化し、大学は大学卒業者を生産する巨大な箱と変身したといえるかもしれません。これも時代の流れでしょう。

教室での学生たちとの触れ合いは今も昔も変わりませんが、まわりの環境は変わってしまいました。私たちは体の不調を機にやむなくリタイヤーしましたが、これは私たちにとっては潮時だったかもしれないと思うこのごろです

    ・・・・・・・・・・・

今 埼玉県の国際交流基金の研修センターにタジキスタンの教え子 シェラーリー君が6ヶ月の研修できています。彼はタジク国立言語大学の日本語科の先生になっています。先日我が家に来てくれて4年ぶりに本当に嬉しい再会をはたしました。

                      NO3  つづく

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