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田端道子(090107)

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 ****思い出の正月1****

下の写真は2003年、タジキスタン・ドゥシャンベの元旦のスナップです。その日はなんの連絡もないままガスも電気もストップ。水道はもうずっとストップ。もちろん大学はお休みで訪れる人もありません。


部屋の外のながめ子供たちは元気にソリで遊んでいます

外はマイナス10℃。もとより暖房設備も全くない部屋で、食事も作れず一杯のお茶すら飲めず、ひたすら電気が点くのを待ち焦がれて過ごしました。

下着や服をありったけ着こんで、帽子を被りマフラーを捲き完全武装、市場で買ってきた硬いナン(パン)をかじりながら、寝転んで本を読んで過ごしました。しかし外は雪、薄暗い部屋は3時過ぎにはもう本も読めない暗さとなり、あとはひたすら寝るだけです。

電気が来たのは夜になってからでした。またいつ切れるかわからない中、あわてて電熱器(ヒーターむき出しの簡便なやつ)で湯を沸かしてようやくお茶にありつくことができました。

体中に沁みわたっていくお湯の温かさを、そのときほどありがたいと感じたことはありません。

そんなことの繰り返しだったタジクでの1年間、私は何度涙したことでしょう。しかし今となってはそのどれもがなつかしい思い出となって駆け巡ります。

今年は、12年ぶりに日本で家族揃ってお正月を過ごしました。暖かい炬燵にもぐりながらそんなタジクでのお正月を思い返したことでした。

私たちが教えた大学

1 山東大学

6 タジキスタン国立言語大学

北京外交学院(2年)

7 ロシア北方国際大学

北京第二外国語学院(2年)

8 厦門大学嘉庚学院
厦門大学(2年) 

山東大学(2回目)

5 北京理工大学

 


中国の大学で一番美しいキャンパスといわれています
厦門大学(道子画)

派遣・契約のこと

1)東京都からの派遣

  山東大学  1991年9月から1年間)

都立高校の教師だった夫は19919月から1年間、東京都の派遣で山東大学に赴任しました。そのときの夫の給料(日本の)はいつものように家族に届きましたし、中国での生活費や旅費も出ましたから、条件的には本当に楽でした。

東京都からの中国への日本語教師派遣制度はこのときが最後で中止となりました。

2)(財)日中技能者交流センターからの派遣

北京外交学院 1997年9月から2年間)

5年後、55歳の時、私たちはそれぞれの仕事を辞めて夫婦揃って中国に出発しました。その時は日中技能者交流センターから派遣されました。これは日教組の退職者関係で組織する派遣システムで、中国を主体とし、教育・農業技術などに派遣されました。

応募者は教員の退職者がほとんどで、応募者が多く選考試験がありました。30名程度が選考された後、愛知県西尾市 の施設で約1か月の研修を受けることになっています。日本語教育法や外国での生活の心構えなど多岐にわたる研修がありました。

中国では国家専家局という政府の受け入れ機関があり、派遣教師は全員成田出発、北京の国家専家局で歓迎式に出席したあと、市内の友誼賓館に1泊し、そこから出迎えにきた中国全土の大学や専門学校に連れられて配属されるという形でした。

私たちは北京の外交学院でしたので、迎えに来た若い教師が空港に迎えてきていました。夫は「専家」という待遇です。一般に言う「外国人教師」の待遇よりちょっとだけ大事にされます。

受け入れ大学は往復の飛行機代を持ち、大学内に宿舎を用意する決まりがあります。給料は当時1500元(日本円で2万円位)でした。

しかし、妻の私はもともと家族資格という肩書きしたので、給料は夫の同額の1500元が出たものの往復の旅費は一切出ませんでした。二人の給料を合計して、当時はまだ安かった中国の物価のおかげで、北京でどうにか暮らしていける額でした。

私の肩書きは「外国人教師」ということになり、就職ビザを出してくれました。(このビザが出ないと中国では働けません)宿舎は1LDK、なんとか住める程度。入浴はシャワーだけで、半年後の休暇帰国まで浴槽に入れませんでした。休暇の旅費など全て自分持ちです。

授業に必要な参考書やその他の教材など相当な量になりましたが、日本からの荷物の送料なども全部自前でした。

北京には日本人会がありますが、その主流となっている政府派遣や企業派遣の方たちは日本と変わらない生活レベルで、とうてい私たちはお付き合いをすることはかないませんでした。

北京にその頃マクドナルドチェーンができ始めていましたが、例えばハンバーガーセットが20元。当時の中国人にとっては高嶺の花で、普通の中国人と同じ生活レベルの私たちにとっても気楽に食べられるものではありませんでした。

****正月の思い出2****

左:2003年タジキスタンの我が家で新年会・いろはガルタをする学生たち

右:タジク日本大使館の餅つき大会に各国の公使に混じって日本語科の学生40名も
招待をうけました。 夫は会場で日本の書道を披露しました。

                                   NO2   つづく

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