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 日本語教師時代の思い出・18

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No 19

 


北海公園    (道子パソコン画)
スナップ写真 
「北海公園 」 へどうぞ

 


北京第二外国語学院

3年目は北京第二外国語学院で教えることになりました。

この大学は北京の西の郊外にあり、この大学までは都心からバスで40分ほどもかかります。最近は西へ伸びる地下鉄ができて便利になりました。

夫の移動は、この大学に長く勤めているベテラン日本人教師の推薦紹介で決まりました。それから以後、数年間の各大学への転勤は全て友人知人の紹介です。中国は「つて・こねの社会」ですが、やはりいい仕事をしないとチャンスは回ってきません。

中国で一番人気の外国語大学は北京外国語大学です。
二番目は通称「二外」(アールワイ)とよばれたこの北京第二外国語学院です。
全国から外国語を学ぶために優秀な学生が集まり、外国人教師も世界中から優秀な人材を数多く集め、国際色豊かでした。

宿舎は外国教師用専用の建物で、食堂も揃っており、また古いながら温泉の出るバスタブがあったのは意外でうれしいものでした。
私は授業をしなかったので、この大学の学生の印象派あまりありません。

北京旅游学院付属高校

私は二外では、教師としての声はかかりませんでした。3か月ほどして二外が提携している北京旅游学院付属高校で教えることになりました。

この高校は旅行ガイド・通訳を育てるための学校らしく、英語系と日本語系がありました。学生の質はかなり高かったと思います。

高校なので、他の教科の授業もたっぷりあり、遠足や体育祭の引率などもやらされ、それはそれで私にとっては面白い経験でした。
学生は少年少女なので愛らしく、よくなついてくれました。

卒業の時 1割ぐらいの学生が日本語能力試験2級に合格しました。
弁論大会を企画し実施したのは大変喜ばれました。

中国の中高生の制服はどこもスポーツトレーナーです。
日本人から見ると学校でも通学時も一日中、トレーナー姿の学生はやぼったく見えるのですが経済面で貧しい生徒たちにはいい制度だったのです。

学校別にデザインが違うのでスポーツトレーナーはステイタスの象徴にもなっているそうです。この学校の生徒たちは自慢げに着ていました。

高校は教師の私には昼食を無料で提供しくれましたが、自分で厨房まで弁当箱を持っていって行き、窓口から食事をどさっと盛ってもらうシステムでした。
なんだか最初はまるで餌のような感じがして食欲が湧きませんでしたが、だんだん慣れてきて美味しくなりました。今ではもう一度あの懐かしい給食を食べてみたいとさえ思います。

ここでの印象深い学生は趙新くんです。
彼は飛びぬけてできる学生でしたが、目的意識を強く持ち、その積極性と学習意欲に圧倒されるような学生でした。

彼は入学して2年ですでに日本語能力試験2級に合格しており、3年生の1月の1級試験を目指して一人で勉強していました。
早く親孝行をしたいと常々言っていました。

そこへ日本人教師の私が来たので、大喜び。彼は私に食らい付いて来ました。毎日休み時間、放課後、昼休み、1級問題集の質問を山のようにもって来ました。宿舎にも良く遊びに着ました。

なんといっても「ヒアリング」の日本語テープがないのが悩みの種のようでした。

次号で改めて書くつもりですが、北京には日本の国際交流基金事務所があります。そこには日本語教育関係の本がずらりと揃っており、問題集も揃っております。

ヒアリングのテープは貸し出しはしないけれど、その場で聴くことだできるシステムです。私はそこに彼を連れていきました。

彼は日本大使館閲覧室とこの国際交流基金図書室に日参し、みごと高校3年、18歳で1級試験に合格しました。性格が素直で親孝行、本当にすばらしい学生でした。

御両親は大喜びで、私たち夫婦を自宅で夕食に招いてくださいました。
たった二部屋の小さな労働者住宅でしたが、御両親の心からの接待が今も懐かしい思い出です。

6年後に北京で彼に再会した時、彼は旅行ガイドで成功し、両親のためマンションを買ったといっていました。     


日本語1級能力試験が終わって 趙新くんとデート

二外付属短大

2学期には二外付属の短期大学で日本語の授業を頼まれました。その頃国は各大学に経営をまかせ、独立採算制をとらせ始めました。
大学はお金儲けのため、付属校を増やしていました。
私は時間講師なので時間給で給料をもらい、外交学院時代よりも生活はうんと楽になりました。

毎朝 混み合う20分のバス通勤ははじめは緊張しました。乗車したらすぐ車掌に「停留所名」を伝え、目的地近くなったら「降ろして!!」と中国語で言わなければなりません。私の発音が悪くて車掌さんに何度も聞きなおされ冷や汗ものでした。

短大での初級会話授業でショート劇をやらせました。

日本の有名な幼児教育誌「しまじろう」の「一日の行動・挨拶」場面を使ってみました。

1999年 外交学院・ 2年生の作文」


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