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 日本語教師時代の思い出・17

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No 17

 


北京の胡同 (フートン)    
(道子パソコン画)

北京のには古くからの住宅・胡同があります。
都市整備のため壊され胡同の数はめっきりへりました。
スナップ写真 
胡同その1 」 へどうぞ

 


その8

北京の生活
私たちは十年余の歳月、、中国各地やタジキスタン、ロシア(シベリア)などを転々として日本語教育に従事しましたが、どこでも庶民レベルの生活をしました。

つまり、赴任大学から支給される現地給料だけで生活したということです。
国によっては給料も住居の斡旋もないこともありました。

北京の生活はお風呂がシャワーしかないこと、生水が飲めないことを除けばまずまず快適な生活でした。

食品は青空市場で、計り売りで買い自炊しました。たまに中国人が朝食とする油条や豆乳や饅頭や粥なども楽しみました。

米は質は落ちるもののうそのように安価でした。市場の野菜は新鮮でしたが農薬が心配されるのでよく洗うことを心がけました。基本的な調味料は日本から持っていきました。

無いものといえば新鮮な魚介類、、薄くスライスした肉類、安心して生で食べられるタマゴ、食パンでした。だから休みで日本に帰国すると一番にお刺身とタマゴ賭けご飯を食べたものです。

豆腐は絹はありませんが美味しい木綿豆腐がありました。何故かビニール袋入りの黄色いタマゴ豆腐が「日本豆腐」という名で売られていました。


北京の屋台・ 煎餅屋
日本のお好み焼き、韓国のチジミのような鉄板焼きで
山東煎餅が有名

当時はやっと北京にも大型スーパーが1、2店開業した頃で、ラップ包装の野菜や肉が中国人の目には新鮮に映っていた時代でした。

地下鉄は、故宮を中心に北京を一回りする環状2号線とそれを左右に貫く1号線がありました。日本のように複雑ではないので逆に便利でした。

路線バスやトロリーバス、バンスタイルのミニバスもありました。私たちはほとんどバス利用で、タクシーはめったに使いませんでした。

その頃、「メンパオ」の愛称で呼ばれた何人乗ってもOKの黄色いバン型乗り合いタクシーがあり、学生たちとぎゅうぎゅう詰めで乗車したことなど懐かしく思い出されます。今「メンパオ」は廃止されました。

北京日本人会

北京のど真ん中、建国門外大街の長富府宮弁公楼ホテルの1Fに「日本人会」の事務所があります。北京に住む日本人や留学生は誰でも入会できます。

日本人会には野球、柔道、囲碁の同好会、同郷会、大学同窓会などあるようでした

その頃の日本人会の年会費一人300元ぐらいでした。私の給料は月に1500元でしたから、とても会費が高額に感じました。

しかし、日本並みの給料を貰っている日本の官僚や会社から日本企業から派遣された人にとっては一食の食事代程度の金額だったと思います。
私たちは節約して夫だけ入会することにしました。

そういう日本人たちとは給料や生活レベルがあまりに違うので、親しいお付き合いありませんでした。

私はバドミントンクラブに入れてもらいました。そのクラブには日本人留学生も来ていました。

この日本人会の隣には「日本人会図書室」が開設されていました。駐在の方が帰国のおりに寄付された比較的新しい日本の本、雑誌、ビデオテープがたくさん棚に並んでいて、毎週貸し出しがあり本当に助かりました。

私は2週間に1度は本やビデオを貸りに行きました。日本人会のボランテアの奥さん方が本の整理や貸し出しをやってくださっていました。

長富宮ホテルのお隣に北京で2番目の開店というマクドナルド店があり、図書館の帰りにそこでコーヒーを一杯だけ飲むが私のささやかな楽しみでした。

ハンバーガーセットが20元(200円)ぐらいでした。学生用のランチが5元もしない時代でしたからマクドナルドは中国人にとってまだまだ高嶺の花でした。私にとっても同じでした。

今では北京には300店近くのマクドナルドが立ち並び、普通の中国人でいつも一杯です。
日本人会のバドミントンクラブの練習日は毎週日曜日、
練習場所は北京空港にほど近い北京日本人学校でした。私はそこまで地下鉄やバスを乗り継いで
一人で一時間以上かけて通いました。

ある年末のクラブの大会ではダブルスで優勝しました。
優勝できたのは、ペアを組んだ男性パートナーが
実力NO1の持ち主で、
私は前衛だけを必死に守ればよかったからです。

同じ建国門に日本大使館があります。そこには文化広報部が開く図書閲覧室がありました。この施設は日本語教育にとても役立ちました。

日本の最新の新聞、雑誌が並び、日本のDVDを鑑賞できます。日本のODAのパンフレットなどもあるので授業に活用させていただきました。

この図書閲覧室は中国人も利用出来たので、私はよく学生を引率してでかけました

日本の最新雑誌や映画なども見られるので学生たちは休日にはよくでかけたようです。また中国人学生の日本留学相談室もありました。

余談ですが、この建国門界隈にはたくさんの大使館があります。当時の中国人たちは、外国人と見れば「チェンジマネー!チエンジマネー」と言いながら近寄ってくる傾向がありました。中国人は貨幣価値の高い日本札やドル札を欲しがっていたのです。

今や中国の元の価値は高まり、中国はアメリカドル保有国としても世界一です。隔世の感があります。


北京の焼き芋は中が黄色で甘く最高の美味しさでした。

1999年 外交学院・ 2年生の作文」


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