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 日本語教師時代の思い出・11

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No11

 

その2 

 

交学院の裏手にあった庭師が住む家族宿舎
昔ながらの懐かしい中国風構えだった。

  宿舎は大学内のアパート

大学では学生は敷地内の学生寮に全員入り、教師、事務職員、その家族もまた大学内の教職員教用のアパートに住んでいた。この当時大学は職住接近が原則であった。

朝夕、開放された大学のグラウンドを老人や子ども、犬までがウオーキングする姿はほほえましく、日本の大学とは雰囲気が違い家族的な暖かい感じがした。

私たちも大学の教職員用アパートに雑居する生活が始まった。台所とシャワー室、、ダブルベッドが一つだけ、他には何もない2Kのささやかな部屋であったが住むには十分。トイレは水洗だったので助かった。

浴槽がないのが風呂好きの私にとって残念だった。お風呂は春節休みの日本帰国まで約5ヶ月お預けであった。

野菜や肉、日用品などはすぐ外の公道に開かれた朝市でほとんど賄えるし、ちょっと足を延ばせば大きなデパートもある。

また公道で不法に営業する掘立小屋程度の安い学生向けの食堂ならごろごろある。

しかし、私たちは到着の翌日から鍋や茶碗、食材などを買い集めてなるだけ自炊することに決めた。市場で買い物するぐらいの中国語はなんとかこなすことができた。

給料は1500元(日本円で約22000円)、これは日本の派遣団体と中国の国家外国専家局との取り決めであった。北京で1か月1500元の生活は当時でもちょっときついものがあったが、二人分3000元でどうにか生活することができた。

私たちはその後10年の外国生活は、全て現地の人と同じレベルの生活をした。その中で普通の人々との生活状態もよくわかり現地の人々と飾らない付き合いをしてもらった。

私たちの授業内容

日本語科の学生は一クラス14、5名編成の少数精鋭で、本科生の中に専科生が2,3人まざった一学年一学級である。(専科とは聴講生のこと)

前期の授業は、夫が3年生の「精読」、4年生の「ゼミ」。私は2年生の「会話」に1年生の「発音・精読補助」を受け持つことになった。

後期には持ち授業の内容が少し変わり、主人は4年生の「近代文学史」と「古典文学史」、3年生の「精読」。私が2年生の「会話」と「作文」、1年生の「会話」となった。

夫の「精読」の授業は中国で編集された教科書を使って文章を読み込む内容で、日本での「現代国語」の内容に近い。

「近代文学史」や「古典文学史」の授業で使うテキストは当時中国にはなかったため、夫
が自ら編集したテキストをプリントした。

中国人が行う「文学史」の授業のパターンは、それまでは筆者と著作名をひたすらに列記し、それを暗記・試験するというまことに味気ないものだったようだ。

夫はそこに時代考証と文化歴史の流れを加味して一味違った授業にするべく、ずいぶんと苦労したようであった。

また、4年生の「ゼミ」はテキストもなく方法論も全く示されないまま授業に突入した。

そこで、「中日文化比較論」的なテーマで自由に討論させ、最終的にはその異同がどこから生まれるか、という文化人類学的な方向に持っていこうとした。

しかし、中国の学生は自由討論という形式にはまったく不慣れでなかなかうまくいかなかった。

軍事訓練

 
2007年山東大学の軍事訓練

中国は9月が新学期だが、新入生の授業は10月中旬にならないと始まらない。新入生全員にほぼ1か月、「軍事訓練」が行われるためである。グランドは教官の号令とエネルギーに満ちた学生の「ウオー」と言う声がひびき渡る。

校内で行われるその訓練には、男子のみならず女子学生も参加しなければならない。

数年前までは軍隊の兵舎に起居して行われる本格的な訓練であっらしいが、最近は変わって来て、学生の一人っ子気質に沿ってかなり緩めの訓練になってきたようである。

それでも朝7時から夕方6時までみっちりと団体での整列歩行訓練が行われる。最近の学生は受験勉強に明け暮れる生活なので、気力・体力のないものもいて途中ダウンしてしまう学生もいると聞く。

しかし訓練を終えた学生たちの感想は、とても苦しい体験だったけれどすごく新鮮で楽しかったと応えるものが多い。

今まで受験勉強で頭を使うことばかりだったエリート学生にとって、何も考えずただ命令・号令に従って体を動かすだけ、それでいて一糸乱れぬ行動に身を置くというのは、今までにない不思議で新鮮な体験であったようだ。ここで学生たちは「愛国精神」と「国を力で守る」ことを学ぶのであろう。

1990年代は反日感情が中国国民にも学生間にも強くあり、私たち日本人教師も時おり学生の反日感情に触れることがあり考えさせられた。

学生は私たち日本人教師と直接に接するまで、中国映画で見た「メシ、バカ、シネ、キサマ、殺せ」の日本兵のイメージしか知らなかったようだ。

私たちのような普通の日本人に接し、また学生と教師の親密な関係が出来てくるうちに、学生の「日本観」も少しづつ変化してきたのは嬉しいことだった。

私たちはただ、日本語を教えるだけでなく、学生たちが日本に興味を持ち、本当の日本を知り、友愛、友好の気持ちを抱いてもらうようにすることも大切な事だと思ってずっと仕事をしてきた。


つづく

(No10:・2009・6・1記) 

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