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 日本語教師時代の思い出・10

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No10

 

その1 

 


柳青める頃 故宮 (道子画

 北京外交学院に決定

1997年春、夫は都立高校を55歳で自主退職し、中国に渡ってボランティアの日本語教師になることを決意する。両方の母親も他界し、子ども達も自立のきざしがみえたころの思い切った決心であった。

ボランティアの団体はいくつかあるが、夫は先ず、かつて日教組委員長であった槇枝氏が主催する「日中技能者交流協会」からの派遣に頼った。

受け入れ先は中国政府管下の「国家外国専家局」である。当時は国家外国専家局で先ず外国人教師を一括受け入れ、そこから中国全土の大学や専門学校に配分する方式をとっていた。

夫は日中技能者交流教会の選考試験に合格したあと、5月、愛知県西尾市にある研修施設に入る。

その期の派遣予定者全員が全国から集められ、1か月間の合宿研修を受けるためである。そこでは日本語教師になるためのさまざまな学習や中国での長期生活への心構えなどの講習が丁寧に行われた。

その研修終了時に内示を受け、8月のはじめに赴任先は「北京外国学院」との通知を受ける。条件は「夫婦で来て、夫婦で教えてほしい」ということであった。

意地と度胸だけは一人前の私はすぐ快諾する。(日本語教師の研修も受けていないのに、である)

場所はやったー北京だー!と喜んだものの、「外交学院」なんて聞いたことがない。普通の旅行ガイドブックにも出ていなければ都内で買える北京市の地図にも出ていない。
苦心惨憺、あるローカルな北京の地図を探し出し、むしめがねで丁寧にさがすと西城区に豆粒ほどの小さな「外交学院」をみつけることができた。

「北京大学」などの有名大学の敷地とは雲泥の違い、「これは専門学校程度の大学ではない?」と二人で訝る。

実際、北京に渡り外交学院に到着してみるとその規模は小学校並み。ところが学生たちに接してみて、実はすごい大学だということを知ることになる。

「外交学院」とは中国の外交官、または外国相手に仕事をする人材を育成するための、中国外務省直轄の大学だったのだ。

この大学に入るには各省で1、2位の成績を収め、しかもあらゆる大学の試験に先立って行われる試験に合格する必要がある。学生の実力は北京大学と同等かそれ以上といわれるものであった。


北京友誼賓館での専家局主催の歓迎会。
熱烈歓迎だった。
 この時、日中技能者交流協会から赴任先の各学校の日本語科に
日本語教師派遣と共にパソコンが1台贈られた。
パソコンがまだはしりのころで、中国の大学にはほとんどなかった時代で
各学校の日本語科は大喜びであった。。

北京へ出発

私は出発するまでの一ヶ月ほど、さまざまな資料や雑誌を参考に日本語教授法の勉強を自分でやった。まさに「付け焼刃」である。中国語は、NHKラジオ講座で挨拶程度だけ習得する。

8月末、他の派遣教師全員と 日中技能者協会の職員に引率されて北京に向うこととなる。

つづく

 (No10:・2009・5・15記) 
 


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